野田市清水公園でBBQを・続き
確か駐車場はno.4まであり、no.4はBBQ場の近くでした。
BBQ場、キャンプ場(宿泊の小屋あり)、マス釣り等の施設がある。又、駐車場からBBQ場までの荷物の運搬用の台車まで完備されていました。
この案内図はキャンプ場の例です。
我々はこの幟の出ているバーベキュ-場に向かいました。
BBQ場は屋根がかかっており、大きなテーブルと片側に炉が設けられていました。このような屋根付きの棟が10棟くらいあり、この日の混雑中でもまだ空きがあったようです。又、その一角にはロッジ(バンガロー?)も数棟ありました。
我が組の様子です。
孫にマス釣りをやらせました。まだBBQが焼ける前には瞬く間に5匹つれたのですが、焼いてくれますので、料理の前に食しました。ところが午後になると食いが浅くなって、私が1匹釣っただけでした。ここからはエサを咥えた瞬間に合わせなければつれなかったようです。私は腰が痛くて、しかもコルセットをしているために、苦しくて動きづらくて、身のこなしに苦労しました。合計で7匹要る所を孫が5匹で釣ったところで中断しました。人数分ですと7匹釣る必要があったのですが、腰の調子が悪くて、コルセットをしているために、つり上げたマスを捕まえたり、針はずし、エサ付け等思ったように身体が動かないのです。
通路の両側にはツツジが植わっていて、今が見頃かもしれません。ツツジの廊下をアラン連れで散策して見ました。
これは我が家にも小木がある「オオムラサキ」の一種かと思います。
この種のツツジは「ミヤマキリシマ」系統のものでしょうか。
これは「オオムラサキ」系のツツジです。我が家に小木があります。
これも「オオムラサキ」系のツツジです。我が家に小木があります。
野田市清水公園でBBQを
今日は娘夫婦2組と野田市清水公園のバーベキュー場に行ってきました。埼玉県みさと公園にも一度出かけたことがあるのですが、設備の整っていることや色んな遊び場等もあって、清水公園が遙かに立派でした。BBQ場に屋根がかかっていることは天気に関係無くBBQが出来る最大の売りだと思います。
今日は疲れたので明日写真とともにアップしたいと思っています。
今日はスクールガードの日
今日は10時からスクールガードです。私の社会と繋がる唯一の活動と云えます。前にも書きましたようにスクールガードとは云っても特別な活動は何一つやっていません。
この小学校にボランティアで来ている方で、学校の木の手入れから雑草抜きや校庭の掃除等それこそ朝から夕まで身を粉にしている方がいます。外にもボーイスカウトの団長や紙を折った物を老人介護施設は贈ったりされているようです。極く短時間のスクールガードに比べると全く頭が下がります。
ツツジや西洋シャクナゲの写真をアップすべく、いつも通りの手順で作業を進めていましたら、「ブログ管理画面」のログイン出来ないのです。パスワードをデバイダーに確認して打ち込んだのですがそれでもダメでした。メンテナンス情報を見ましたが、それらしき情報は出ていません。
16時頃から試行錯誤して調べてみましたら、何もいじっていないのに、コンピューターの設定が変わっているのでした。途中まで設定をあれこれいじって、ログインして見ましたら、ログイン出来ました。
「FC2インフォーメーション、サービス別ガイド一覧、FC2ヘルプをクリックすると“ログイン方法は間違っていないのにログインできません“が出て来ました。それを開くと操作法が出て来ました。
リビングのアランです。
昨日に引き続いて西洋シャクナゲを2葉撮りました。
狭い屋敷のフェンスに植わっているツツジが満開近くになりました。映っている範囲で4種類の花が咲いています。
そのうちの一種です。
他の一種です。
もう一種です。最後の一種は撮り忘れました。
今日はリハビリに
今日午前中はリハビリに行ってきました。往路は家から50m位の所から、復路は家から400m位の所まで病院の巡回バスに乗りました。歩くとやはり腰は痛みます。リハビリには週一回通っていますが、良くなっている感じは残念ながらありません。5月9日は主治医の在院日ですので、実情を話して今後の対応を相談して見たいと思っています。
例年アップしている洋ツバキや海棠等の写真については、今年は術後の静養にかまけてアップしないまま過ぎてしまいました。今はロードデンドロンがもうすぐ満開になる時期です。
垣根のツツジも満開に近いのですが、これは後日アップしたいと思っています。
昨年までは犬を庭に出していたのですが、今年初めてアランを庭に出してみました。
庭の芝生は、過去に踏みつけられて、痛んでいますし、雑草も生えています。
前足のフリンジがまだ伸びて来ません。いつになったら伸びることやら、どうも気長に待つしかありません。
昨日今日の散歩
昨日は夕刻、ある焼き肉屋に次女夫婦を招待して行きました。4人掛けのテーブルには乗せられない程の料理が並びましたが、結局4人で完食してしまいました。
家から片道1.2km位ある所ですが、私は腰の調子が相変わらず悪いために難渋しました。しかし、何とか往復共歩くことが出来ました。
今日は市長及び市議会議員の選挙日です。私はアランを連れて行き、投票所の出口付近でフセ!マテ!のコマンドで待たせて投票を済ませました。出て来ましたらアランはその姿勢のまま待っていましたが、私がアランの傍に寄りましたら、アランは立ち上がりました。これが訓練中のことでしたら、私が傍に寄ってもそのままフセの姿勢をキープさせる所ですが、もう訓練をしていないし、まあいいか、で済ませました。
続いて、何時もの散歩コースである水辺公園の周囲を散歩しました。腰が痛い所為で歩いている内に段々前屈みになるのですが、努めて腰を伸ばすようにしました。しかし、腰はピンとは伸ばすことが出来ません。腰を伸ばすと膝を曲げないと真っ直ぐには伸ばせない感じです。
写真を撮っているのに気づいて、カードルではなくて、クレートの中に逃げ込んでしまいました。
昨日の散歩
昨日も大変よい陽気で、一昨日よりも快適な気温でした。そんな中、15時30分位からアラン連れで散歩しました。
コースは何時もの水辺公園周回としました。歩き始めは、腰は比較的に軽いような感じ(いつも通り)でしたが、家から100m位歩きましたら、腰が痛く重くなって来て、腰を下ろして休みたくなりました。しかし、我慢して歩くことにしたのですが、歩調は益々遅くなりました。
水辺公園では市議会議員候補及び市長候補の公示版を暫く見てから、又歩き始めました。
家から100m位の所まで戻って来たときには休みたくなったのですが、我慢して歩き続けました。
家から40~50mのところまで戻って来たところで、団地内一区画を回るべく右折し、
他所様のガーデニングを見ることにしました。3軒のお宅がそれはそれは見事なまでに手入れされ、見る人を惹きつける庭にされているのです。
この内の1軒の奥様が丁度庭に出ておられて、庭の花々、木々の事や犬について、お話をしました。
昨日は耳鼻咽喉科通院日
昨日は大変よい陽気で、将に汗をかきかきの一日でした。車の運転はまだしていませんので病院の循環バスを利用しました。
昨日はその暑い中、月一の耳鼻咽喉科に通院してきました。
今回も無呼吸・低呼吸指数(AHI)は0.4回/時で、“C-pap装置も数値も非常によい使い方なので、今のまま使い続けて下さい。”ということでした。たったこれだけのことで約半日が潰れてしまいました。先月は0.5でしたので、先月よりも改善しているということです。しかし、これは誤差範囲に近いのかも知れません。AHI≦5では正常範囲なのですから。
アレルギー対策の飲み薬を今月も処方してもらいました。飲んでいなかった時に比べてクシャミの頻度は格段に少なくなりましたが、まだ朝夕の冷えこんだときにクシャミが出ることがあります。それも大きなクシャミなので、はた迷惑なことです。
帰りは柏駅まで循環バスで行って、電車でした。駅の北口からの歩きは腰が痛くて難渋しました。
私がパソコンしているときに、傍のカドラーで休んでいるアランです。カドラーはテレビの前のテーブルの下に置いてあります。
約2ヶ月振りに車を洗車
3月12日に入院する前から車は半ば放置状態で、汚れるに任せていました。
昨日は天気が良かったので、朝9時位から洗車しました。ガススタンドで洗車して貰えばよいのですが、車の運転はまだ避けていますので、自宅カーポートでしました。実に2ヶ月強振りのことです。2ヶ月も洗車しないで放置しておくと、家の前を通る人の目には、汚い車の外観から全くだらしない持ち主の姿が映ったかと思っています。
腰が痛い連続で、医者からは禁止されている行為だったと思っています。出来るだけ腰を屈めないようにしていた積もりですが、それでも大変な作業でした。
土の粉、道路のアスファルトの粉、はたまた黄砂?が混じりの埃です。洗車前の姿を写真に撮ることを考えたのですが、余りにもみっともないので止めました。家の前は比較的交通量の多い道路に面していまして、その上道路が家近くで緩やかにカーブしていますので、一種の吹きだまりの様になっていることも車を汚す一因となっています。
こってりと付いた埃はスプレーノズルの噴射だけでは落ちませんで、一度はスプレーで水をかけ、次に水をかけながら、モップで擦って落とさざるを得ませんでした。
この作業中、腰が痛んで致し方ありませんでした。(終わった後も痛みが残っていて後遺症が大変です。)
約2ヶ月弱の間、車を放置しておりましたので、バッテリー上がりも心配しておりましたが、お陰様でそれはありませんでした。メーターで約80~90%は残っていました。本来の車の放電がこの程度なのか、又はハイブリッド車のためにバッテリー容量が大きいのか、詳細は不明です。
本文とは関係ありませんが、ショットをアップします。
コピペですが・ちょっとお堅い話を
昨日はスクールガードの雑談で出た、岩手県久慈地方に「皂」(サイカチ)について書いたのですが、同時に出た憲法の「憲」の単独の意味について、音読み及び訓読みやその成り立ち等について話が出ました。そこで「憲」について検索結果を書いてみたいと思います。以下、検索結果です。
憲の意味については、漢字を上下に分けて考えてみると、
上半分
→「うかんむり」+「圭」で、「かごなどを上にかぶせる」とか「勝手な動きをおさえる」、「無秩序な状態を押さえる」という意味になります。
下半分
→「目」+「心」で、「人の心を見る」という意味になります。
両者を総合すると、「憲」は「目や心の無秩序な動きをおさえこむ」という意味になります。
ですから「憲法」は、「無秩序な法であれば押さえ込む」という意味で、法の番人的な役割を果たしているのです。
憲法という字ですが、「憲」という字だけでも「国の組織や政治のしくみの根本の原則を定めた掟」という意味があるそうですが、国の「おきて」とか、「きまり」とはどういうものなのでしょうか。この「憲」という字を見るとわかりますが、この字の下のほうには、「目」と「心」があります。上のほうは、「うかんむり」に「圭」がついたものですが、うかんむりは、かぶせるものを表しています。
「圭」という漢字は名前によく使われますが、もともとは古代中国の玉器の一つで、天子が諸侯や使者のしるしとして与えた物のようです。ということで、名前に使う場合は、特別な人に与えられた、認められた人という意味で使われるようです。しかし、古代中国では、それを与えることで、天子が諸侯を封じた際にしるしとして与えともいわれています。
どうも、「国の掟」とは、何かを封じるために「上にかぶせる」とか「勝手な動きをおさえる」という意味のようです。では、なにを封じたかというと、「目」と「心」で、物事を見づらくしたり、感じにくくしたりすることで、勝手な言動や逸脱した考えを抑えながら作っていくもののようです。または、「目」と「心」で、「人の心を見る」という意味ととると、「国の掟」とは、人の心を見えにくくするものという意味になります。
このように憲法には、「国民代表機関たる国会が作った法律をおさえこむルール」というもともとの考えかたから、「多数派が制定した法律による人権侵害から、少数派を守る」という一見矛盾する考え方を持たないといけないのです。わたしたちは、少数者の意見にも耳を傾け、尊重します。そして、国家レベルでの中央集権による支配的な関係よりも、お互いの協力的な関係、受け身ではなく自分から新しいものを創造していくことが求められます。上から与えられるものに頼るのではなく、自分からつくりあげていくことが大切なのです。そして、自分に何ができるかを考え、つながりのなかで行動し、共に学び合おうことが必要になります。
と全くコピペばかりですが、私たちが普段何気なく見逃していることでも、その意味を調べてみると、その事には深い意味があることが分かります。
スクールガードの日
ここの所の天候不順ですが、これも季節の変わり目を表しているのかも知れません。今日は曇天ながら雨は降っていません。
今日はスクールガードの日ですが、過去の2日間はいずれも体調不良(腰の調子)ということで早退けさせて貰いました。
スクールガードとは云っても特別なことは何もやっていません。校門を入ってすぐの控え所で大部分の時間を過ごし、1回程度校庭を巡回するだけの事です。後は、井戸端会議ならぬ(老人の)雑談をしています。このスクールガードは各班4~5名で月曜から金曜まで担当しています。この外、小学校関係では登下校見守り隊がありますが、私はそちらの方は参加していません。
今日の雑談の中で、テレビを見ていて、岩手県久慈地方に「皂」という珍しい姓が出ていたというのです。どうも「サイカチ」と読むようです。この「皂」の「部首」と音読みの仕方を調べて欲しいということでした。
「皂」は皂莢 (サイカチ、 皂の部首は白)で「皂」はキョウ、コウ、キュウ、ヒョク、ヒキとも読むようです。豆科の木で学名はGleditsia japonica、Gleditsia : サイカチ属だそうです。
・山野などに生え、大木になる。
・幹にある”とげ”の形が強烈。
(動物などが近づけないようにしているのでしょうか)
・夏に黄色っぽい花が咲く。
古くは万葉集にも出て来て、
皂莢(かはらふぢ)に延(は)ひおほどれる屎葛(くそかづら)絶ゆることなく宮仕(みやづかえ)せむ。
と詠まれているようです。
正岡子規も、
皂莢(さいかち)に秋の日落つる小窓かな
と詠っているようです。
第3回リハビリの記
今日午前中にリハビリに行って来ました。
行きは、駅北口まで歩き、病院の循環バスに乗って、約30分かかって病院に到着しました。約600~700mの距離を10分位かけて歩きましたが、気ばかり焦って足が前に進まない感じの歩行でした。腰が痛いこと、とコルセットを着けている所為で、足や腰の動きが悪くて、女の方にもどんどん追い抜いていかれる始末でした。
上体を垂直にして、目線を遠方にして、歩くように指導を受けているのですが、意識をしていないとこれを維持することは難しいです。
このコースの循環バスは初めて乗ったのですが、北口を出た後は思いの外遠い地域まで回りましたし、客は私独りで、将に貸切状態でした。病院の診察は9時始まりですから、病院到着予定が8時半のバスではそうそう客があるとも思えません。
リハビリでは、仰向け、両片側、俯せの4姿勢とリハビリ台に腰掛けて、各々施術を受けましたが、強いて云えば、左脚の、脹ら脛と太股の裏、の筋肉が固く硬直(ほんの少々)しているような感じでした。このため円滑な歩調が取れないのかも知れません。
片足立ちもしましたが、どちらも30秒出来ました。入院中の最初のリハビリでは8秒と14秒しか出来ませんでしたので、当然のことながら退院後1ヶ月強の改善は眼に見えています。足の筋力も相当付いて来ているようです。
15時過ぎからちょっと散歩
家で腰掛けたり、横になっていると、腰はそれ程痛みを感じないので、歩いたらどうなのか確認のために、今日はアランを連れて、いつものコースを散歩しました。
散歩が大好きなアランは、サンポのかけ声に大喜びで、先になって玄関に歩いて行き、私がリードを付けるのを待っていました。
家を出て暫く、と云っても精々100m程歩きますと、腰が重く感じるようになり、両大腿部の外側のつっぱり感が出て来ました。これが酷くなった場合に間欠跛行が起こるのではないかと考えています。この感じは散歩を終えても続きました。
所が、椅子に座りますと、この痛くて重いような感じは感じなくなってしまいました。
明日はリハビリに通う予定ですが、雨が降っていなければ駅北口まで600~700m位歩いて行くつもりですが、雨降りの場合には歩いて50m位の小学校入り口までにするつもりです。前者ですと8時20分に病院着なのですが、後者の場合は8時30分着なのです。リハビリが8時30分からの予約なので、前者の方が都合がよいのです。
腰の用心をして散歩は中止
昨日は天気こそ良かったが、どうした訳か腰の調子が良くありませんでした。
そのため、今日は「痛さには波があるので、痛い時には無理せず静養するように」との医者の言葉通り、家から一歩も出ませんでした。
その所為なのか、気象の所為なのか分かりませんが、今日は腰の痛みはそれ程でもなく納まっています。
散歩中でも今日のような調子なら良いと思っています。
可哀相なのはアランです。大好きな散歩にも連れて行って貰えず、静かに寝ている時間が多い状態です。
今日は腰の調子が今一
今日は大変暖かくて、予報も最高気温は24℃位とされています。
10時頃からアランを連れて、いつもの散歩コース(水辺公園を一周)、家から家まで1.2km位を30分強かけて、散歩してきました。
今日は腰痛が酷くて、300~400m歩くと、腰の鈍痛が酷くなりました。いつも鈍痛はあるのですが、今日は特に酷いようです。坐って暫く休んでいると、腰の鈍痛がやや納まって歩くことが出来ますが、又300~400mしか続きません。
間欠跛行と同じような現象ですが、脚が痛くなったり或いは痺れたりして歩けなくなるわけではありません。腰の鈍痛を無理すれば歩けるような気はするのですが、極端に言えば鈍痛で眼がちらちらするような感じなのです。
気象と関係があるのか、又入院中回診の先生が言っていたように、「痛さには波があるので、痛い時には無理せず静養するように」ということかも知れません。
段々曇ってきていましたが、13時過ぎから雨が降って来ました。一時は叩きつけるようなすごい降りでした。
狂犬病の予防注射
昨日は「寒冷渦」によるにわか雨、雹、突風、竜巻及び落雷等の予報があり心配されていましたが、当地方では、夕方18時30分頃になって、ちょっとにわか雨があり、相当離れた所で雷の音がする程度で済みました。雷が落ちたり、竜巻で屋根が飛んだりしたら目も当てられません。そういう意味では何事も無くて幸運でした。
今日は良い天気で、9時から集団狂犬病の予防注射日でした。市では市内の各地の公園等で日を決めて予防注射を実施しているのですが、当地区は第1公園でした。
娘の車で行ったので、知り合いにも会いませんでしたし、時間は40分間ほど取ってありますので、9時丁度位ですと、全く混雑していませんでした。
アランは注射する時も全く反応することなく、あっと云う間に終わってしまいました。
暖かい日
今日は正午頃から「寒冷渦」が差し掛かり、天気が急変するという予報でした。
朝から非常に良い天気で気温も上がり、絶好の散歩日よりとなりました。天気も12時近くの予報ですと、当千葉県北西部は雨が降らないと云うふうに変わってきました。
10時頃からアランを連れて散歩に出かけ、コースは最近お決まりの「水辺公園1周コース」でした。
水辺公園脇の私有地には桃の花が白や赤に咲き誇っていましたが、時期が過ぎて散りかかっていました。
アランを「スワレ!」をさせて、紅白咲きの桃の傍で撮りました。
ズームした写真です。
次の場所を変えて、タッテ!をさせて撮りました。ここ2年間以上訓練をしていませんので、もう「タッテ!」は忘れかけているようで「1声符」では出来ませんでした。スワレ!やフセ!は良く使いますが、タッテ!は使う機会が少なかったようです。
今度は、フセ!をさせて撮りました。
ズームアップして撮りました。
染井吉野はもう葉桜ですが、遅咲きの桜(八重の一種か)と山吹が咲き誇っていました。
私の散歩もリハビリの一環ですが、桃の花や染井吉野の盛りに、「あー素晴らしい光景だな」と思っても、わざわざカメラを持って来たり、写真に撮ったりするのは、面倒臭くてつい伸び伸びになっていました。
散歩は合計で40分位でしたが、やはり腰が痛い状態が続いています。
ここから、約1.5km位離れた民家の庭に「緑色の花の桜」である、「御衣黄」(ギョイコウ)という桜があります。今度覗いて見て咲いていたら写真をアップしたいと思っています。
朝から雨
今朝目が醒めましたら、もう雨が降っていました。今日も肌寒い日です。
今日はスクールガードの当番日でしたので、10時に顔を出して、ちょっと雑談に加わってから10時20分ころに失礼しました。
今日は娘2人が来宅しましたが、なんでも旦那が台湾に出張した「おみやげ」を持って来てくれたらしいようです。次女は、最近は毎週位に来ていますが、長女は子供が小学生のため、なかなか来ることがありません。一緒に来るときには、長女が次女を車で拾って来ています。
次女がラヴィを連れて来て、ラヴィが部屋に入って来ますと、アランは激しく吠えます。2頭はケンカするような仲でもありませんが、そうかと云って決して仲が良さそうにも見えません。ラヴィが現れたとき、あるいはアランが「縄張り意識」から吠えているのかも知れません。
又、誰かが玄関の扉をあけますとまずラヴィが吠え、アランは釣られて激しく吠えます。アラン1頭だけのときは決して吠えることはありません。「船乗りのツレション」ならぬ「犬の連れ吠え」です。
良く「天気が下り坂」だと神経痛が痛むと云うようですが、私の腰は天候に関係無しにいつも痛みます。常時痛くて、しかも鈍痛です。この痛みは背筋を強化すれば取れるものがどうか不安になります。しかも再度手術をするとなると、又2週間の入院とその後のリハビリを考えると少々うんざりします。
リハビリ(第2回目)に行って来ました。
今朝、リハビリに行って来ました。行きは曇りでしたが、帰りは雨が降っていました。
往復共病院の循環バスを利用しましたが、行きは小学校前から、帰りはスーパーベルクス近くの焼き肉店まででした。
リハビリでは左右の脚の硬直を取るような方法をやってもらいましたが、左脚の腿後部の筋肉が固くて痛みを感じました。今日は何時ものメニューの外に、背筋の訓練として、腹ばいになって、片足づつ上げたり(各20回)、リハビリ台に腰掛けて両手でバランスボールを垂直まで持ち上げる動作もやりました。
娘夫婦と約束している焼き肉店に下見に行って来ました。店に入って見ると、意外に広くて、12時台というのに待ち時間無しでした。
ビール中ジョッキと焼き肉セットを頼んだのですが、月曜日は特価日で割安でしたが、個人的な感覚ですが、肉は人造肉?(端肉を接着剤で固めたもの?)のような感じがしてしまって、本来の肉の味がしませんでした(個人的な先入観の所為か)。安売りの日に安い物を食べた所為で、感覚的にそう感じたのかも知れません。娘夫婦と行ったときには安物は避けようと思いました。
それから自宅までは雨の中を約1km強を歩いて帰りました。折角リハビリをしたのに、腰の具合は、リハビリ前の状態に戻ってしまった感じでした。雨自体はそんなに強い降りではありませんでしたが、それでもウインドブレーカーとズボンの裾は濡れていました。
県議の選挙にアラン連れで出かける
今日は、天気がよくてまずは散歩日和でした。9時頃アランを連れて選挙に行ってきました。最寄りの小学校までは百m強ですから、散歩の出だしだけです。
投票所の出口でアランを坐らせ、マテをかけて、リードは括り付けないままにしておきました。最近はマテの訓練もしていないので一寸心配だったのですが、投票を終えて犬の許に帰って来る迄マテを続けることが出来ました。
温和しく待っているアランを見て、ご婦人連れが「あら、良い子だこと」とか「可愛いわね」とか云っていました。訓練中なら、出来て当たり前なのですが、もう2年近くも訓練していないのに、忘れないで出来たことに驚きました。
最近は訓練をしていないのですが、散歩の時、アトヘ!で、脚側停座させたり、アトヘ!で脚側行進したりを、ほんの一寸やる程度でその他のは全くやっていません。
ダッコ、トベ!(跳びモノ)、ホエロ!やマワレ!の類はほんの余興としてやっていても良いかな、と思っているのですが、私の腰の具合がまだ十分でないため出来ないのが残念です。
投票の帰途、水辺公園辺りまで足を伸ばしました。延べ1km程のゆっくりした散歩でした。
退院後初めての外来
今日は、8時30分病院着のバスで退院後初めてのNH.Drの外来を受けてきました。
4月は今日だけが診察日ですので、患者は物凄く多くて、10時45分頃の診察でした。
私は、次の事を訴えました。
・ 腰を下ろしたとき両臀部に感じた神経系の激痛は無くなったこと。
・ 間欠跛行は無くなってきたこと。
・ その代わりに立ったとき、腰の部分に痛みを感じ
・ 歩いているとき、ときどき腰を伸ばさなければならないこと
これに対し、NH.Drからは、
・ 今回は除圧だけであったが、1ヶ所は固定した方が良かったのかも知れないこと。
(今回、撮ったx線写真を見て)
・ 腹ばいになって、片足づつ5sec上げる背筋の自主訓練を続けること
・ 同じく腹ばいになって、胸を持ち上げる自主訓練を続けること
・ 今後は、(自分自身でもトレーニングして)、自分で治す気持ちを持つこと
・ それでも改善しない場合は、再手術(金具による固定)も考えられること。
今日も焼き肉店に行ったみるつもりでしたが、生憎今日も店が休みでした。仕方ないので中華の店に入り、肉野菜炒めを「塩分控えめでお願いします」と云ってみました。勿論こんな注文をつけたのは生まれて初めてです。しかし、「モノは云ってみるもの」で快く引き受けて貰い、大変美味しく満足のいくものでした。
車の運転について
昨日の午後、散歩していましたら、去る4日にツバメを見た所に来ましたら、やはりツバメが群舞していました。
一昨日は東京は最低気温2.4℃、最高気温5℃台という寒い日で、一日中曇天乃至小雨で、時に霙交じりの寒い日でしたので、ツバメの命を心配していたのですが、何とか無事だったのではないかと思っています。あの小さな身体で南方から飛来するだけでも驚異に値すると思いますが、一羽でも多く、無事で過ごして欲しいものです。
去る4日のNH.執刀医に「車はいつ頃から運転出来ますか?」と聞いたときに、「極く短時間、極く短距離なら可」との答えだったのですが、あの鬼軍曹さんが云っていたように、
・ 左右に確認が出来ない
・ 後ろの確認が出来ない(バックビュ-モニターはついていても、時には後ろを見ることは必要になろうこと)
・ とっさの場合には俊敏な動作が出来ない
以上のことから、余程症状が改善しない限り、車の運転は控えた方が良かろうと思っています。
今、我が家の車は私が入院する前から洗車していないので、埃塗れの状態になっていて、全く見るも無惨な状態です。我が家は比較的車の往来が多い道路に面していますので、埃を浴びやすい環境でもあります。
手術のメリット&デメリットについて
首記問題については私が最も悩んだ所です。この関連の問題をネットで検索していましたら、よく整理されたことが載っていましたので、私なりに整理してアップ致します。
○ 手術をするメリット
症状が一挙に解決される(100%ではないが)
少なくとも年の単位では,症状が再発しないのではないかと思われます。
リハビリをすれば,痛みやしびれがなくなり元のように歩行ができる。
× 手術をするリスク
手術の失敗による下半身不随などの危険性(事故)
麻酔の失敗による植物人間化
手術をしても治らない可能性
脊椎の本の一部を削り取ることによる将来の問題の発生。
等が考えられます。
しかし,その確率はきわめて小さいものと思いました。そして,信頼できる先生に手術してもらうことで不安は極小化されます。手術前の外来診断の話で,脊椎管の手術に多くの経験を持ち,恐らく手術数では日本でも有数の先生とあると感じました。また,先生の話しぶりに自信が感じられました。
○ 手術をしないメリット
生命の危険や障害者になることはない。
× 手術をしないリスク
死ぬまで現在の状態が続くか,より悪化の可能性がある。
生活に制限が加わった状態が続き,余生の質(QOL)が低下
症状が悪化して手術をせざるを得なくなった時に,手術が困難になる可能性あり
神経自体が圧迫のために変化していて,手術により圧迫を取り除いても神経の変化はもとに戻らない可能性がある
より高齢になってからの手術は体への負荷が大きい
歩行が困難な状態が続くことによる下半身の筋肉の弱体化
(事実,約2ヶ年以上の散歩すら不自由な生活により下半身の筋肉はかなり落ちていた)
いつまでも,治療法を探し続けることになる
痛み止めによる保存療法ではもう限界であった。
しかし、私の思い違い乃至は医者の説明不足の事項がありました。
手術後の入院は2週間でよく、その後は家庭生活が即リハビリになる、ということを聞いていましたので、この点を安易に考えていました。所が手術して初めて分かったのですが、3ヶ月に亘る厳しい制約があることが分かったのでした。
将に鬼軍曹の看護師(orキーパーさん)
退院後のシャワー行為について、看護師(or専属のキーパーさん)がそれこそ鬼軍曹のように厳しく注意指導してくれました。風呂に入ることは3ヶ月位は厳禁なためシャワーonlyなのです。
この厳しい注意指導により、退院後の誤った行為(又は姿勢)で、折角の手術が無になるかも知れないことを防止するのです。
・ シャワーを浴びる前の注意
決して前に屈まないこと。
前の方等に手を伸ばさない
上肌着とコルセットをビニール袋に入れる
入り口の座椅子にかけて、下はスッポンポン、コルセットと上肌着だけになる
・ シャワーの前の座椅子に腰掛ける
コルセットを外してビニール袋に入れる
上肌着を脱ぐ
・ シャワーヘッドを片手で持って、頭を洗う
決してシャッワーヘッドの方に頭を下げて持っていかないようにすること
・ 上記禁止事を守れない場合は看護師に頼むこと
・ 身体を拭く場合も上記事項を守ること
・ シャワー前の座椅子に座ったまま、上肌着を着る
・ 〃 コルセットを着ける
・ 脱衣所の座椅子に腰掛け、上記の注意事項を守りながらパンツや衣類を着ける
・ 立ち上がるときにも上体を垂直に保つようにすること
・ ドライヤを使うときも身を捩ったり、屈んだりしないこと
以上の如く、非常に厳格なものなのです。
これを看護師さんは、入院中4~5回、都度傍に付いていて、厳しく指導してくれました。
腰部脊柱管狭窄症・入院前の準備と入院中の補記
昨日(4/06)は10時41分の病院の循環バスで外来第1回目のリハビリに行って来ました。リハビリの時間は11時40分頃から約45分程でした。私は最近腰が痛くて背を伸ばすことが出来ない時があります。その旨をリハビリ士に話しましたが、施術が終わってからリハビリ士が云うには、腰の神経に障る所を2ヶ所やったが、痛い反応が無かった。この痛みは神経からくるものではなくて、腰の筋肉が弱っている所為で発生するものであろうことと云う見解でした。
片足立ちについては、両足とも60sec立つことが出来ました。又足の膝上の筋肉も大分付いて来たという指摘でした。
又、椅子の掛ける姿勢については上体が垂直になるように、椅子にどっぷりと掛けるのではなく、一寸浅めにしてお尻を意識して坐るように指示されました。且つ、両手を合わせて真っ直ぐに上げるように、歩くときには目線を遠くにするように注意されました。
帰りは13時20分発の病院の循環バスに乗り、スーパーのベルクス前で下車しました。
焼き肉屋が目当てで、次女夫婦と一緒に行く約束がありますので、下見するつもりでした。
所が丁度休みでしたので、近くのイタリアンでランチセットにしました。
食べ終わって、自宅までは1.2~1.3km程を歩いて帰りました。ゆっくりした歩みでしたが、一回も休まずに歩きました。手術前ですと30~40m歩くと腰が痛くなって歩けない状態ですが、少なくとも間欠跛行は無くなったようです。
VOLDYNEによる吸入訓練;
私は元々12月20日に手術を受けることにしていて、12月13日に一旦キャンセルしていますので、呼吸の吸入訓練は1ヶ月近くやったことになります。
入院前の準備としてVOLDYNE・2500(inspirator)による呼吸の吸入量のトレーニングを一日3回、1回につき10吸入をするように指示されていました。
呼吸が浅くなると肺炎に罹りやすくなるので、それを防止するというものでした。
息を吐いて、それから一気に吸い込むのです。その吸入量を測定するのがVOLDYNEです。
私の解釈ではコルセットを着けると呼吸の吸入が浅くなるので、このトレーニングが科せられたのではないかと思っています。
常用している薬の中断;
私は脳梗塞予防のためにシロスタゾール(プレタール)及びバイアスピリンを常用しています。いわゆる血液をサラサラにする薬です。手術すると血液が凝固し難く大出血を招く恐れがありますので前広に中止する必要があります。シロスタゾールは3~4日前、バイアスピリンは8~9日前から服用を中断しました。中断しますと脳の白質病変体が進行する可能性がありますが、これは無いだろうとの脳外科医の診断でした。
弾性ストッキングの装着;
手術に先立って看護師が弾性ストッキング(指先が開いたギュウギュウのロングソックス)を装着してくれました。このストッキングは相当きつ目で、最初はとても素人には履くことが出来ないような代物でした。
これは、手術中は4~6時間同じ姿勢を取り続けるため、足のエコノミークラス症候群(血栓発生の防止)を防止するためのものです。
又、麻酔から醒めた後(手術前か手術後かは不明)足にはポンピング装置が取り付けられていました。これは下肢の部分を圧縮したり、開放したりして、下肢の血液循環を促すものでした。
モルヒネ系の定量式注射;
手術後はモルヒネ系の定量式注射器がつけられていました。これは17日の夕方まで付けられていました。netで闘病記を読みましたら術後の痛みは激しいと書いてありましたので、それを心配していたのですが、その痛みはこのモルヒネ系の定量注射で抑えられたのではないかと思っています。10ccを3日かけて注射したようで、針は右胸の鎖骨下にセットしてありました。
読書三昧の日々;
入院中は姿勢については各種の制約がかせられました。これは退院後も継承しなければなりません。
・ 屈むことは厳禁
・ 前の方に手を伸ばすのも厳禁
・ 左右や後ろを振り向くのも厳禁
・ 横になったときはコルセットを緩めてもよいが、立つときはきっちり締めること。
・ 物を下に落としたときは自分で拾わず、看護師を呼んで拾って貰うこと。
・ 等々
入院中は原則ベッドに横になっているので、退屈で仕方ありませんでした。そこで談話室に行ってスリラー小説等を借り、ベッドに持ち込んで、早朝の5時頃から、消灯の21時過ぎの22時半位まで読みふけりました。日に2~3冊、延べにすると50~60冊を読破したことになります。西村京太郎や内田康夫等は読みやすく、大藪春彦等のハードボイル物は若干肩が凝るような感じでした。
便秘の日々;
netで闘病記を読みましたら、ベットの上でオマルを使うと、便がなかなか出ず苦労したということが書いてありました。私はそれを心配して手術後数日間は食事の量をセーブしました。すると、便は数日でなかったのですが、逆に4日間(便が出たのは術後4日後の18日20時15分)便秘をしてしまいました。18日に便が出るとき切れ痔気味になりました。
その上、腰の激痛のため21日に座薬(ボルタレン)を看護師に入れて貰ったとき、入れ方が荒っぽくて本格的な切れ痔になってしまいました。これが完全に治るまでに10日程かかりました。それまではシャワートイレの洗浄時には飛び上がるほど痛かったことを思いだします。
腰部脊柱管狭窄症・入院生活の記-5
昨日、キズ跡の写真を撮って見ました。まだ傷口にはカサブタがありますし、傷口は押すとまだ痛みがあります。
3月28日(入院17日目、術後14日目)
この日は執刀医NH.Drの術後初めての診察でした(先週の土曜日が休日であったため)。このDrは学会出席のため不在が多いのですが、netで検索してみましたら、何と某大学の副学長であり且つ大学附属病院の院長先生のようです。
診断を受けるに当たり、予め次の質問事項を用意しました。
骨をどの程度削ったのか。又靱帯は?
所要時間は?、輸血量は?
どの位の日にちが経てば車の運転が出来るか?
退院後の通院は?
リハビリの件、通院か、介護保険か?
再発は?
いつ退院出来るか?
色々訊いて見ると元々あった骨を削ったわけではないらしい。本来無い所に生成した乃至はみ出した骨を削ったようだ。
所要時間はNH執刀医が2.30h、前後の手術や処理はMN助手医が各2.00h、合計4.30hと説明されました。
輸血は再生血200cc、新輸血200cc、出血は400cc。
3ヶ月すれば健康体通りになるらしい。(ゴルフok、柔道okの由)
車の運転は、それまでは極く短時間、短距離にすること。
今後は1ヶ月毎に3ヶ月通院のこと。(リハビリ以外)
リハビリは外来(又は介護保険のどちらか一方)を受診して予約すること。
退院は今日でもよいが時間切れか。入院費の限度額について同室だったUYさんの入れ知恵により月内3月31日にした。
3月29日(入院18日目、術後15日目)
毎朝及び毎晩の看護師巡回(便数、血圧、検温)のみ
回診時にも傷口のチェックなし。
次回執刀医の外来受診は4月11日(4月は在院1日のみ)
3月30日(入院19日目、術後16日目)
8.30、シャワー(屈まぬこと、手を伸ばさぬこと、左右を見ないこと、挨拶のときのお辞儀も不可)
9.30、OH.Dr回診
15.15、リハビリ
NH.Dr(執刀医)学会出張
4/4、/18、/25(4月11日のみ在院)
5/2、/16、/23(5月9日と30日のみ在院)
MN.Dr(執刀助手)
4/18、5/23日学会出張
3月31日(入院20日目、術後17日目)
9.30、TU.Dr回診
“痛みには波があるので、痛む時は静かに静養するように”と注意がありました。
10時45分精算を済ませて退院しました。
腰部脊柱管狭窄症・入院生活の記-4
昨日は14時頃からアランを連れて散歩して来ました。約25分かけて1kmをゆっくりと歩きました。コルセットをしていて、おまけに傷口にまだ痛みがあってゆっくりでないと歩けないのです。
この散歩中にツバメがもう渡って来ているのです。2羽や3羽ではなくて、10羽以上が群れになって飛び回っていました。この日は北風が冷たい日でしたが、小さな身体には寒さは殊の外堪えるのではないかと可哀相になりました。
3月26日(入院15日目、術後12日目)
坐ったときの両臀部と上腿部裏側の激痛はやや治まって来ました。しかし、腰裏の手術跡の痛みが気になります。
今日は介護支援センター員が訪ねて(14.00~○○さん予定)来る予定。
9.35、TU.Dr回診時に手術縫合部の抜糸を行いました。抜糸と云っても正式には「抜鉤」というようです。取ったホッチキスを以下に記します。
「 手術の傷口がくっ付いたころに縫った糸を抜くのがいわゆる「抜糸」ですが、最近は切り口を「糸で縫う」のではなく、「ホッチキスでクリップ」するようです。糸ではなく、ホッチキスの針=鉤だから、抜糸でなく「抜鉤」です。元〃は「Cの字」形で傷口を留めていたのでしょう。
書類用ホッチキス針を、専用道具を使って抜いた残骸とよく似たような格好をしている。
そう云えば、我が女房が昨年転んで頭を怪我した時にパチンパチンと止められたようでした。」
10.20、3F(北館~本館)館内散歩
転室 365→358(UY氏は367へ)
この日、朝からサークル式歩行補助具を用いずに歩行した。いつものKT療法士休みのため○○療法士が代番であったが、16.45~17.05のお茶濁し程度でした。
(この日以降サークル式歩行補助具は撤収)
3月27日(入院16日目、術後13日目)
9.15~シャワー
9.30、TU.Dr回診時に傷口に張っていたテープも取りました。これで肌着が直に傷口に当たるようになりました。
13.30,介護保険認定審査のため、INさん来院
手術時の記録、出血400cc、再生200cc、新輸血200cc、総手術時間4.5時間
第2回X線と血液検査(20日の第1回検査では炎症反応なし。右手の浮腫で心配していた腎臓系も問題なし)
15.10~15.50,リハビリ
市の介護保険の市調査員の説明では、
認定申請(3/26受理)→約1ヶ月で認定
当病院のソーシアルワーカーが休みのため主任さんが来てくれた。
手すり業者紹介
ベッド 〃
風呂椅子 〃
腰部脊柱管狭窄症・入院生活の記-3
下記の写真は3月15日に撮影した手術跡です。長さ14cm程度です。細いチュ-ブが見えるのはキズ内部に滲出する血液や体液を流すためのドレーンチュ-ブです。Dr回診時に看護士さんに撮影して貰いました。
3月23日(入院12日目、術後9日目)
腰の痛みは幾分軽減したようです。(臀部と大腿部の痛みはあり)
9.30、OH.Dr回診
痛みについて訴えましたら、“臀部の筋肉が痩せて体重を支えづらくなっているのか、そのため大腿部の筋肉が突っ張っている可能性あり。これはリハビリで力をつけていけば治るだろうこと。今後無理をしない程度を保つこと。”
今日は傷口の痛み(神経の痛みでは無い)も感じます。これも臀部、上腿部の痛みが減った所為かも知れません。歩行している時、方向を換えようとすると“ぎくっ”と激痛が走ることがあります。
肩の向きと腰の向きとは変えないことも注意されました。
病院のソーシャルワーカーから福祉用具の説明や介護保険申請について説明を受け、介護保険証を明日提出することとした。
介護保険の適用を認定されると要支援1級、同2級、要介護1級~同5級までの7段階があり、風呂(シャワー)用椅子及び手すり取り付けについて、9割が支給されるということです。
3月24日(入院13日目、術後10日目)
右手の浮腫(むくみ)が減って来ました。腎臓が悪いのか、右手に点滴針を刺していたせいか気になりました。
9.20回診、傷口張り替え実施、“リハビリは痛みを見て無理でない範囲でやる”こと。
傷口の痛みあり、瞬間的に足と腰に痛みが走ることあり。(昨日と同様)
13.53に震度3の地震がありました。
3F、北館~本館往復及び1F売店への往復館内散歩(サークル歩行補助具使用、初散歩)
夜になって筋肉痛が出て来たのでボルタレンゲルを貰い塗りました。
3月25日(入院14日目、術後11日目)
HS.Dr回診、キズの痛みは抜糸しなければ取れないと云われた。
夕方リハビリを約50分受けた。片足立ちは左8sec、右12secしか出来ずがっかりしました。一昨年の3~4月頃から約2年間位腰痛のために散歩も満足にしていない所為で筋肉が衰えたのだろう。
腰部脊柱管狭窄症・入院生活の記-2
昨日は16時頃からアランを連れてぶらぶらと散歩?しました。往復で約1kmを30分位かけてゆっくりでした。ウンチを取るとき前屈みになるのを心配していたのですが、片膝ついて何とか処理することができました。アランにとってはゆっくり過ぎて散歩らしい散歩にならなかったのではないかと思っています。
水辺公園近辺では桜、白い桃の花や紅色の桃の花が咲き誇っていまして、丸で身を洗われるような感じでした。
手術前のような間欠歩行は見られませんでしたが、キズ跡が痛くて、又コルセットをしているために休み休みの苦しい散歩でした。
3月19日(入院8日目、術後5日目)は腰を下ろしたとき両臀部の激痛は依然続いていました。
この日はx線、血液検査(炎症反応等診るようです)があり、シャワーは前(胸、腹と大事な所)だけは自分でやり、他は全て看護師(orキーパー)がしてくれました。
看護師の話では“腰の手術は、緊急時以外はなかなかやらない。出血してそれが悪さをして下半身不随になる危険はある。”という話しをしていました。
x線撮影のとき、台に横向きになりのはよいのですが、それから上向きになりうとするとき両臀部及び足に激痛が走ってなかなか上向きの姿勢が取れませんでした。リハビリ療法士に昨日リハビリ後からの経過を話しました。(寝て上を向いたときに足を伸ばせないこと。)
3月21日(入院10日目、術後7日目)には、朝方検温等に来た看護師に“病状は昨日通りのこと”を話しましたら、“静養を続けるように”指示されました。体温37.1℃、血圧ok、酸素飽和度96%で微熱が続いているようでした。
今日も一日中両臀部が痛くて、遂に我慢出来ずに寝る前にボルタレン座薬を挿入して貰いました。(お陰で肛門は切れ痔になりました)
3月22日、左足先に痺れはないものの、上掛けをかけても暖かく感じなくて、この感覚は今まで通り続いています。
TU.Drの回診時に両臀部、両大腿上部の裏側の激痛を訴えました。「上向きになって、左足を30~35度まで上げさせられた」ときに激痛が走りました。暫く安静にしておくようにとの指示でした。
腰部脊柱管狭窄症・入院生活の記-1
これから日を追って入院中の特記事項を思いつくままに記ていこうと思います。
3月12日(入院初日)同室になったOTさんには励まされました。その体験談を聞いたところでは、2月27日手術→3月14日退院、延べ16日間の入院のだったようです。私と同じように脊柱管狭窄症で、同じように4ヶ所の狭窄があったようです。彼は、片足はまだビッコ気味であったのですが、背筋は真っ直ぐ伸びて歩いていました。彼は、術後2日間は痛んだ由、特に導尿管とドレーン管のデボッチがコルセットと皮膚に挟まれて痛かったということでした。
この話しを聞いて私の手術は成功するだろうという甘い期待を持ちました。まだこの時は入院、中半期の激痛や長期に亘る苦しいコルセット生活の事はまるで知りませんでした。
3月14日の14.00から手術でした。ベッドで手術室に運ばれ、そのまま手術台に仰向けに乗せられました。この状態で、“麻酔を今からかけますよ”との声とほとんど同時にもう全く覚えていません。
(この後、俯せの姿勢で手術台に載せられ手術を受けたようです。狭窄ヶ所は、2番と3番の間、3と4、4と5及び5番と仙骨と間の4ヶ所でした。後で執刀医に聞きましたら手術跡は14cmでした。)
気が付いたのは手術が終わってベッドで病室に運ばれる途中から着くころでした。台車がガタゴトと転がっている音で覚醒し、それが停止してから手術の様子を説明している(助手を務めた)MN.Drの大きな声に聞き覚えがありました。
3月15日(入院4日目、手術翌日)にはAm8.00に坐って朝食を摂ることが出来ました。
3月16日(入院5日目、術後2日目)には18.00頃にK療法士が来てくれてベッドで室内リハビリでした。
3月17日(入院6日目、術後3日目)には早朝7.00に尿道チューブ取り外してくれて(ドレーンとモルヒネ系定量注射は継続)、16.00には2Fリハビリ室まで歩いて(サークル歩行補助器を使って)行ってリハビリ(病室は3F)を行いました。又、夜の回診時にモルヒネ系の定量注射を取り外しました。
3月18日(入院7日目、術後4日目)尿を漏らしパンツ濡らして紙製の簡易パンツのお世話になりました。HS.Drの回診時にコルセットを取ってキズを診てくれましたが、 キズは綺麗だとの診断で明後日からはシャワーokと云われました。
しかし16.00からのリハビリでは、リハビリ台に腰を下ろした瞬間に左右の臀部に猛烈な痛みが走りました。ベッドに戻って腰を下ろしたときもそうでした。モルヒネ系定量注射は昨夕から取り外したので、今まで抑えられていた痛みが出たのではないか。
20.15には、入院後止まっていた便通がありました。結局心配したオマルも溲瓶にも1回も世話にならずに済みました。
昨日退院後の記-1
昨日は娘2、孫1と我が夫婦で、帰宅途中お昼をささやかな生還祝いをしました。満開の桜を見ながら花見も出来たわけです。
家庭では夫婦2人切りですので、可哀相なのは我が女房でして、私の余計な世話が増えたような状態です。
お昼も夕食時にも1杯やりたかった(普段は晩酌はやりません)のですが、結局やらず、今一退院祝いみたいな気がしません。
家に帰って来るとアランは、ワンワンと吠えて私の回りをぐるぐると回ったり、くっついたり離れたりして大歓迎してくれたようです。しかし、私が屈んで身体を撫でてやれないものですから、何時もと様子が違うと感じたようで、何だか様子が違う風なけげんな様子でした。
これから益々暑くなる中でコルセットの装着や体位(屈んだりするのはダメ等)の注意等大変ですが手術前の痛さから解放されると思うと、これも我慢出来るのではないかと思っています。
一寝入りしてから、15時半位から約20分程散歩しました。やはり、腰の手術跡に痛みを感じます。今日の回診で大○Drが、痛む時もあれば痛まないときもあり波があること、痛いときは無理はしないように、というアドバイスを思い出しました。