新・アスピ/アランの自主訓練日誌(Part-Ⅰ) スクールガードの日・歩行訓練は中止

05月≪ 2017年06月 ≫07月

123456789101112131415161718192021222324252627282930
2015.11/12(Thu)

スクールガードの日・歩行訓練は中止 

  
 10日はスクールガードの日でした。天気は曇りで小雨が今にも降りそうな空模様でした。
待機室で老人(本人たちは老人とは思っていない)が4人揃って雑談に花が咲きました。その話題の中で、生前葬という言葉があるが、どうして生前というのだろうか、という質問が出ました。普段から「生前」とは「死ぬ前生きている内」の意味に使い、何ら疑問に思っていませんでした。「生前」は字句通りなら「誕生前」のはずです。

 それと「ど演歌」、「ど忘れ」と「ど阿呆」の「ど」についても何となく意味はわかりますが、その成り立ちについて疑問が呈されました。


 それぞれについてnet検索して、コピペしたものをread moreに記します。







【More・・・】

 
 せいぜん・生前とは、故人が生きていた時のことです。生前葬(せいぜんそう)はよく聞く話ですが、存命している人物が自分自身の葬儀を行うこと。自らの生があるうちに縁のある人やお世話になった人を招いてお別れと礼を述べるために行なう人が多い。

「生前」と「死後」
 「生前」と「死後」という二つのことばは、実質と形式の間で大きなずれがある。「死後」が死んだ後であるなら、「生前」は生まれる前でなければならない。
 ところが、「生前」ということばは、生きていた間という意味でしか使われない。生きていた間なら「死後」に対して「死前」と言うべきである。
 「生前」に対して「生後」ということばもあるが、これは形式上の対比にもかかわらず、まったく対比を成していない。生後3ヶ月というのは、生まれてから3ヶ月であり、形式から得られるとおりの意味内容である。

 問題はどちらも「生前」ということばにある。
これが文字通り「生まれる前」を指さないのは、どうやらわれわれが、自分が生まれる前の時間に対して相当無頓着であることに原因があるのではなかろうか。
 
 人間は、死を恐れる気持ちがある。10代20代のころに比べると薄まって来ているようにも思えるが、やはり自分がいなくなること、消えてしまうことに対する恐怖心はなくならないであろう。
 自分が存在しているこの世界と、死んでいなくなってしまった後の世界。
この二つの世界の対比の中だけでもがき苦しんでいるようであって、自分の生まれる前の世界が関心から脱落してしまっている。
 「生前」のことなど普段考えていないから、このことばは本来の意味を逸脱して、死んでしまった人がまだ生きていた時代を指すだけなのである。


ど演歌
 いかにも演歌らしい演歌に対して、「ド演歌」(ど演歌)といった呼称が使われることがある。また、男女の情愛に特化されたジャンルで、演歌よりも都会的なムード歌謡というものがある。とはいえ特徴をもってしても、演歌とそれ以外のジャンル(歌謡曲など)を明確に分類することは難しい。

 演歌が用いる音階の多くは日本古来の民謡等で歌われてきた音階を平均律に置き換えた五音音階(ペンタトニック・スケール)が用いられることが多い。すなわち、西洋音楽の7音階から第4音と第7音を外し、第5音と第6音をそれぞれ第4音と第5音にする五音音階を使用することから、4と7を抜くヨナ抜き音階と呼ばれる音階法である。この音階法は古賀正男、後の古賀政男(1904年(明治37年)-1978年(昭和53年)) による古賀メロディとして定着し、以降演歌独特の音階となる。
 古賀メロディーについては、初期、クラシックの正統派・東京芸大出身の藤山一郎(声楽家増永丈夫)の声楽技術を正統に解釈したクルーン唱法で一世を風靡したが、やがてそのメロディーは邦楽的技巧表現の傾向を強め、1960年代に美空ひばりを得ることによって演歌の巨匠としてその地位を確立した。小節を利かしながら、それぞれの個性で崩しながら演歌歌手たちが古賀メロディーを個性的に歌った。
 歌唱法の特徴としては、「小節(こぶし)」と呼ばれる独特の歌唱法(メリスマとほぼ同義)が多用される。又、必ずと言ってよいほど「ビブラート」を深く、巧妙に入れる(例えば2小節以上伸ばす所では2小節目から入れる、等)。この2つは演歌には不可欠といって良いが、本来別のものにもかかわらず、混同される場合も多い。
 歌詞の内容は、美空ひばり「悲しい酒」、都はるみ「大阪しぐれ」、大川栄策「さざんかの宿」、吉幾三「雪國」「酒よ」などのように、“海・酒・涙・女・雨・北国・雪・別れ”がよく取り上げられ、これらのフレーズを中心に男女間の切ない情愛や悲恋などを歌ったものが多い。また、細川たかし「北酒場」、藤圭子「新宿の女」など、水商売の女性が客に恋をするモチーフも頻繁にみられ、そうした接客産業の顧客層である男性リスナーを中心に、支持を得ている。
 切ない感情・真剣な心情を表すため、短調の曲が多いとされているが、詳細な統計は無い。長調で書かれているものは、ヨナ抜き音階のものが多い。


ど‐わすれ【度忘れ】
[名](スル)よく知っているはずの物事をふと忘れてしまって、どうしても思いだせないこと。胴忘れ。「知人の名前を―する」
 度忘れは健康であっても起こること・度忘れの多くはボケでもなんでもない・「したことは覚えているが、たまたま忘れてしまった」というのは普通のこと。
 度忘れは「記憶の出し入れ能力が低下した」ということであり、記銘・保持・想起すべてに障害が起こる認知症とは違う。新しいことを覚える「記銘」、忘れないようにする「保持」、思い出す「想起」。この内、度忘れは「想起」の部分のみがうまくいかない。
思い出せないワケは、忙しいと無意識に「あまり重要でない」と判断したことを忘れる、
 知識が増えた分思い出すのに時間がかかる(子供と大人では記憶の量が違う。10個の中から思い出すのと100個の中から思い出すのでは、思い出すのにかかる時間も変わってくる。)、
最近あまり使っていない場合も度忘れする等です。


どあほ・ど阿呆
どあほとは、強く人を罵る言葉。
 どあほとは人や言動を罵る俗語『アホ』に関西方面で意味を強くする接頭語として使われる『ど』を付けたもので、アホの語意・語感を強めた言葉である。関西圏でアホは親しみを込めて使われる場合があるほど、罵るという意味合いの弱い言い回しであるが、どあほについてはその通りではない。
 どあほの元となる『ど』と『アホ』はともに江戸時代には使われていた言葉だが、アホに『ど』をつけるようになったのがいつ頃からかは定かでない。また、どあほは漢字表記のど阿呆、カタカナ表記のドアホが用いられるほか、だ阿呆(だあほ)という地域・世代もある。




スポンサーサイト
【編集】 |  06:07 |  その他  | CM(0) | Top↑

コメントを投稿する

URL
コメント
パスワード  編集・削除するのに必要
非公開  管理者だけにコメントを表示
 
 | BLOGTOP |