新・アスピ/アランの自主訓練日誌(Part-Ⅰ) 東北地方でM7.4の地震
2016.11/23(Wed)

東北地方でM7.4の地震 


 昨22日の5時59分頃に東北地方でM7.3の地震が発生しました。私はまだ寝ていたのですが、最初の揺れで眼が覚め、揺れが長く続き、段々と揺れが大きくなって、いつもよりも強いな、と感じました。すぐTVをonにしたのですが、津波の情報の発表ばかり延々と続きました。幸いなことに地上では大きな被害は無かったようです。

 私は小名浜に勤務したことがあるのですが、小名浜港の沖防(港を構築している一番外側の防波堤)には良く釣りに行ったものです。この頃は海釣りに、ボーリングに熱中していました。
 10月の上旬頃にカイズ(黒鯛の子)が釣れるのですが、それを夜釣りで狙うのです。
沖防に船で渡して貰って、防波堤の際をフカシ釣りで狙うのです。長さ数百mを探って歩きました。ところが、タナゴが釣れだしますと、パタッとカイズが釣れなくなります。きっと水温が下がってカイズは深みに落ち、水温に適応したタナゴの季節になったものと思います。

 沖防に出る、しかも夜間に出る等は今から考えると随分無謀なことをしていたものです。
しかし、当時は若気の至りというか、そんな危険なことをしているという自覚は全くありませんでした。

 こんな事もありました。
 「三光汽船(倒産)の空光丸という材木船が小名浜港外に停泊していて、 船長は低気圧が南を通過すると思って上陸。 しかし、日本海を急速に発達して東進したのでものすごい南風が。 結果、空光丸は小名浜港の防波堤へ」
 今から45年?位前のこと、当時台風が襲来し、小名浜港で三光汽船の材木運搬船・空光丸が遭難して沈没した事故がありました。沖合に錨を下ろして停泊し、台風に備えていたようですが、それでも強い風に流されて、沖防に撃突し沈没したようでした。その後数日間は遭難船員を捜索するヘリコプターが飛び交い、港や周辺には無数の大木が漂着していました。
さすがにこの事故の時には釣りは行きませんでしたが、日数が経って遭難現場付近に行ったときには、暗い海から何かに引き込まれるような、えたいの知れない怖さを感じたことがありました。



 私の体調の件に関しては、基本的にはなんら変わりがありません。

・ 右足の親指の陥入爪の手術跡は流水で洗ってから軟膏を付けていましたが、17日以降は軟膏を付けず、バンドエイドを貼るだけ。20日からはバンドエイドすら貼らなくなりました。
・ 腰の上臀皮神経症の対する麻酔効果はすっかり無くなって、完全に麻酔前の状態に戻ったままです。



 一昨日は次女が来宅しました。アランとラヴィの挙動は何時もと変わりませんでした。
赤ん坊は生後5ヶ月と10日経ち、あやすと笑い、アーウーと意味不明の言葉をよく発するようになりました。妻は可愛くてしかたないようです。


 2頭がトリーツをガン見している所です。











 22日のアランの様子は、

・ 7時頃に、「野菜と焼き鶏の混ぜ物」100gを与えました。
・ その後ネフガード、レンジアレン、整腸剤を呑ませました。
  (ネフガード2回/日、レンジアレン1回/日、整腸剤2回/日)
・ 11時頃に「野菜と焼き鶏の混ぜ物」58gを与えました。

・ 17時頃に「野菜と焼き鶏の混ぜ物」102.5gを与えました。
・ その後ネフガードと整腸剤を呑ませました。

・ ウンチは2回しましたが、量は少なめでした。その固さは十分摘まめる程度でした。


 昨22日は快晴で、都心の最高気温/最低気温は19.3/10.3℃(一昨日14.7/11.7℃、一昨〃日20.4/8.9℃)で、日中は大変暖かい日でした。







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